#2 「フリーランスになるのは、やりたいことをやる為の手段のひとつ」 - 遠藤孝行さんインタビュー

IT業界のフリーランスの方に役立つ情報を共有するためのイベント「フリーランストーク」のインタビュー記事です。
IT業界では今、独立を検討されている方や、実際にフリーランスとして活動される方々が増えてきています。そんな皆さんと、フリーランスに役立つ情報を共有するイベント「フリーランストーク」。次回、2023年8月23日開催回に登壇していただくのは、地元にUターンし独立、エンジニアとして活躍している遠藤 孝行さんです。
遠藤さんは新卒入社した会社でエンジニアとしてキャリアをスタートさせ、独立。これまでの海外経験と英語力を活かし、現在は開発ブリッジ役として仕事の場をグローバルに広げておられます。「フリーランストーク」登壇に際して、遠藤さんへこれまでのキャリアの変遷や今後の展望まで、詳しくお話を伺いました。
 
── これまでのキャリアや、現在のお仕事について教えてください。
 
遠藤:新卒入社した会社からSESとして東京のメガベンチャーに派遣され、バックエンドでAPIの開発とか改修をやっていたのがキャリアのスタートです。しばらく東京で働いていましたが、東日本大震災後から「故郷のために、自分も何かしなければ」という気持ちを抱えていたので、2016年に福島市にUターンし、起業しました。
 
福島に戻った当初は会社を立ち上げて地元の子供達にプログラミング教育をしたり、地域おこし協力隊として廃校利活用プロジェクトを手伝ったりしていましたが、現在は開発案件の請け負いに絞って仕事をしています。ただベースラインに福島に貢献したいという思いがあるので、稼いだキャッシュで飲食店を経営するなど、地域へ投資、還元しています。
猪苗代町のシェアキッチン 「ななかまど食堂」
猪苗代町のシェアキッチン 「ななかまど食堂」
 
── 会社を辞めてUターンした時、何か仕事のアテはあったのでしょうか。
 
遠藤:全く、無かったです。だから最初は本当に大変でしたね。人が集まるようなところ、地域の経営者が集まる団体や、交流会、そういうところにとにかく顔を出していました。地方ではシステム開発の案件が少なく、WEBサイトの制作やフロント寄りのお仕事がほとんどです。最初は実績も無かったので、とにかくどんな案件でも受けるようにしていました。
 
東京とのつながりが切れないようにしたいと思っていたので、東京にも頻繁に行って交流会やクリエイターが集まるような場所に顔を出すようにして仕事を増やしていきました。いろんなところに顔を出し続けているうちに既存のお客さんからの紹介で案件が広がっていき、3年位で自分1人で抱えきれなくなりました。そこで2019年には株式会社をつくって社員を雇うようになりました。
 
ただ、会社をやってみて痛感したのが、自分は全く経営に向いてない、ということでした。そこで福島市の知り合いの会社と統合し、従業員にはそちらの会社に移ってもらって、自分はフリーランスに戻りました。今はベトナムとフィリピンにオフショア拠点を持っている会社さんと仕事をしています。プロパゲートのCMパートナーズもそのうちの一つです。
 
── プロパゲートとはどうやって出会ったんでしょうか?
 
遠藤:オフショア拠点のあるブリッジSEのポジションを探している中で、DevelopersIOの記事を拝見しました。クラスメソッドという名前は勿論、昔から知っていたのですが、オフショア拠点開発をしていることはその記事で知りました。
 
ブリッジSEのポジションは、技術や言語の違いだけでなく、文化の違いを理解していなければいけないというのが難しいところだと思います。エンジニア個人の資質の部分も勿論あるかと思いますが、よりフロー効率を高めるために、まずは現状何にどれくらい時間が掛かっているのかを計測するなど、仕組みでカバーしなければいけないという内容の記事だったんです。そのノウハウを学びたいなと思い、アプライしました。
 
── エンジニアリングからブリッジSEに仕事内容を変えてきた経緯を教えてください。
 
遠藤:もともと大学は経済学部卒で、新卒時はプログラミングのバックグラウンドもありませんでした。ただ、IT業界はすごく面白そうだと思った。その中で自分の人材としての価値をつくっていけるかと考えた時に、設計の具体的な仕様を詰められたり、開発が詰まっていることを解決してスムーズにプロジェクトを進行したり出来る「プログラミングが出来るPM」が強いなと思ったんです。最初のキャリアとしてはエンジニアを選びましたが、ゆくゆくはマネジメント、よりインパクトの出せるポジションになっていきたいなと思っていました。
 
── 独立当時にエージェントを使わなかったのには、何か理由がありますか。
 
遠藤:単純に、そういう会社があることを知らなかったんです。新卒2年目で独立してしまったので、社会人として知識が少なかったと思います。自分で営業するしかないと思っていました。今は福島にいながら東京の会社からお仕事を頂いているのですが、2016年当時は今ほどリモートワークも一般的では無かったので、そういうことも難しかったですね。
 
── 独立後、いつ頃から「フリーでもやっていける」と思ったのでしょうか。
 
遠藤:フリーでやっていけると思ったからフリーランスになったので、「最初からそう思っていた」というのが答えになります。ただ、自分の場合はUターンでしたので、実家に住むことで生活コストを下げて、最低限の住むことや食べることを確保して生きていける状態にした、というのは大きかったと思います。もちろんとても不安でしたが、徐々に案件を受けていくことで安定していきました。Uターンを考えている方には、スタート段階で実家に戻るメリットはあると伝えたいですね。
秋の田んぼと磐梯山
秋の田んぼと磐梯山
 
── イベント登壇に向けて、「フリーランスで働く」ということについて一言お願いします。
 
遠藤:自分は同じ環境にずっといると停滞している、成長が鈍化していると感じてしまうんです。ですから、フリーランスとして色んなプロジェクトに参画できるのは、大きなメリットです。半年や1年単位で違う技術に対応していかなければいけないので知識も増えますし、飲み込むスピードも早くなります。言語が違っても、それまでに学んだことを抽象レベルで活用できればスキルは磨かれていきますよね。
 
ただ、「フリーランスになる」というのも、やりたいことをやるための一つの手段でしかないと思うんです。ですから「自分は何がしたいんだろう」から入って、したいことのために動く。そういう順序で考えてもらえたらいいんじゃないかと思っています。
 
リモートワークが増えた今、フリーランスとやっていく場合に選択肢が多い状態になってきたと思います。そこで重要になってくるのは、「自分は一体何がしたいんだろう」というベースの部分かと思います。それを見つけ、それに忠実に生きるというのが大事だと思っています。
 
── 今、遠藤さんが「やりたいこと」があれば教えてください。
 
遠藤:アメリカで開発案件を受けて、日本のエンジニアが作るという形をつくりたいと思っています。つまり日本がオフショア先になるということです。去年の夏頃これを決めてから、オフショアで英語をリアルに使う現場やポジションを探して、今担当している仕事に付きました。来年、アメリカに渡る予定でいます。
 
ベースはやはり、地元である福島に対して役に立ちたいということなのですが、今まで以上に地元に対してインパクトを与えられる方法はないかと考えたんですね。アメリカと日本では請負単価が1.5〜2倍違いますので、利益差分が大きい。そこで得られた利益を、もっと福島に投資していきたいですね。
猪苗代湖畔から見える磐梯山
猪苗代湖畔から見える磐梯山
 
── ありがとうございました。イベント当日は、参加者の皆様からの質疑応答の時間を予定していますので、新たなお話が伺えること楽しみにしています。
 
「フリーランストーク」はこの記事でインタビューに答えてくださった遠藤さんに、ご自身のキャリアについてご登壇頂き、Q&Aを設けることで、参加の皆さまのキャリアに少しでも役立つように設計されたリモートイベントです。ぜひご参加ください。