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機会とやってみると幸運で進んできたIT業界での20年
IT業界への入口(2000年前後)
「音楽を作りたい」から始まったIT業界で20年経ちました。20代前半、当時電子音楽が好きでDTMをやりたくて購入したのがPowerPCを積んだMacでした。しかし本来の用途はそっちのけでパソコン自体のハード、ソフト面の面白さや、その雰囲気、自由なインターネットの世界にすっかり夢中になっていました。たまたまフリーランスでエンジニアをしていた友人がいたので、BBSを設置してカスタマイズしてみたり、Linuxをインストールして動かしてみたりと遊んでいました。そして友人の紹介でソフトウェア開発の現場に入ったのがきっかけです。
コンピュータを触ってるのが好きだったし、就職氷河期を言い訳にしてフリーターをしてたので、これがもっとまともな仕事になるならいいか、というくらいに思ってました。
フリーランス時代(2002年〜)
幸運
最初の現場は何度も面談をして(…)入った銀行系のシステム開発でした。右も左もわからない新人というのは現場の方々も重々分かっていて、「勉強しといてね」と言われて数週間の時間をもらった記憶があります。今の時代、特にフリーランスになかなかそこまで時間を取ってくれるところは少ないのではないでしょうか。就職氷河期真っ只中で、少ないながらも報酬をもらいつつも、現場で技術書を読みながら学んでいけたのは今考えても本当に幸運でした。ちなみに学んでいたのはVisual Basic(多分5)でした。当時好きだった、とある機械のシミュレーターみたいなものを作って学びました。好きなことを題材にしていてかなり楽しかった思い出です。
ただその現場はごく短期で辞め(今考えると大変に申し訳ない..)、その後も長くても2年ほどで現場を変えつつ、ある時は主流になっていた派遣という形でやったりもしていました。その間にIT系の学校と受託開発の両方をやっている会社の案件に携わり、これまた幸運にも当時は新しかったJava Servletを講師のかたに学ぶ機会を頂き、学習しながらWebシステムを開発したり、経験を積んで、その頃に流行っていた独自フレームワークを設計開発するのを任せてもらったこともありました。また、受け入れられない事は多かったですが、新しかったEclipseを周りに布教する活動もしていました。新しい技術やより便利なツールを見つけて使っていくのはこの頃から好きでした。
デスマーチ.. という噂は聞くものの、自分の周りの世界は平和でした。ただ、読解不可能なSQLを残して急に来なくなってしまうかたがいたりもしたので、それなりに厳しい面もあったのかもしれません。
プログラミング: 趣味から仕事へ
プログラミング自体は好きでしたが、仕事としてはそうでもありませんでした。なぜこのシステムに数億もかけるのか?なぜ、誰がこのシステムを使うのか?など、根本的な部分を知らないまま進めるものも多く、今思えば現場のリーダーか誰かに聞けば良いものの、勝手に手が届かないと思い込んでいて、虚無感を覚えてました。
ということもあり、案件の間に数ヶ月休んで、他の業界で働くことも考えたりしましたが、結局友人の会社のWebサイトをPHPで作ったり、ちょっとしたツールを作ったりと結局プログラミングをやるのが分かったので、また知り合いやエージェントを頼って案件に入っていました。
クラスメソッドへ(2007年〜)
あるエージェントに紹介されたのがクラスメソッドでした。当時、クラスメソッドの面談ではJavaの新機能の知識を中心にした軽いテストをしていて、珍しい会社だなと思った記憶があります。ジョインした最初の印象は”皆若いな”、でした。他の会社だとある程度年配のかたがいて、力が集中してるような印象を受けていたのですが、クラスメソッドはそれがなく自由な感じを受けました。
また仕事してる、というよりは技術を楽しんでやってる人が多く、また当時は珍しいデュアルディスプレイや良さそうな椅子、SSDを搭載したスペックの高いPCなど、現場のエンジニアが大切にされているのを感じ、今までの現場にない良い雰囲気を感じました。
正社員へ
4年ほどクラスメソッドでフリーランスとして活動して、正社員になりました。理由は、結婚したのもありますが、大きくは開発チームの中では雇用形態は関係なく接してもらっていたものの、この会社に所属してみる体験への興味や、開発しているソフトウェアの根幹部分をもっと知りたい欲が強くなった事でした。
エンジニアから他のロールへ
しばらくチームで開発者をやって、後にリーダーやPM、スクラムマスターをしました。開発者以外をやったのは「やらない?」って言われたのがきっかけでした。エンジニアも好きだったのですが、正社員になった時のなぜこのシステムを作るのか、への興味があったりしたので、「やってみるか」とか割と軽い気持ちで始めました。
最初の頃は、本当に何も準備なしに顧客とのミーティングに臨んで撃沈したりしていました。今考えると本当に恐ろしいことです。その後も、なんとかリリースや納品に間に合わせるような進め方をしていたのですが、ある時、開発から運用まで行う案件を始めたときに今まで通りだと大怪我しそうな予感しかなかったので、アジャイルコーチに来てもらったり、コミュニティに通ったり、技術書だけではなくソフトウェア開発自体に関する本を読み始めたりしはじめました。この時に学んだことはソフトウェア開発以外でも様々な仕事を進める上でも今でも土台になっているな、と感じています。
多くの時間は受託開発をしていて、顧客企業のビジネスやアプリーケーションの利用者へのインパクトを感じられることろまで持って行けない事も多く、もどかしさを感じていた面もありますが、目の前の顧客やチームとの信頼関係を作れて、その関係性で活動できる状態が自分にとっては一番の嬉しいことでした。
登壇してみる
クラスメソッドという会社は昔から、皆でカンファレンスに出たり、勉強会を開催して登壇したり、書籍やWebメディアで記事を書いたりと、アウトプットが盛んな文化が当時からありました。
私は人前で話すのがとても苦手で、そこは関わりたくないなと当時は思っていましたが、あるコミュニティイベントで「会社紹介やってみない?」と言われ「やってみるか」と引き受けて登壇しところ、意外と話せるなと思った記憶があります。その後もそんなに積極的にはやりませんが、人前で話すことに抵抗がないくらいにはなりました。
そういえば今でも週に2回フリーランス向け会社説明会で話しています。しかも当時お願いされた人が代表になってるプロパゲートで!
プロパゲートへ
プロパゲートで活動し始めたのは社内でメンバーを募集していたのがきっかけでした。プロパゲートでは当時フリーランスの方々を管理する仕組みを考えていた状況でしたので、元々フリーランスをやっていたのと、ソフトウェア開発に携わった経験から何かしら貢献できるのではないか、また、小さなチームの新規事業であることも興味を惹いて手を挙げたのが3年前で、専任になって1年半になります。
現在は営業をメインとしたエージェントチームの運営をしています。全体のビジネス状況を見つつ、フリーランスのかたの登録や企業に案件をいただくための施策を行なったり、面談やマッチング、付随する事務作業をチームでよりよく行えるように日々振る舞っています。
過去〜現在〜未来
現在の活動では過去に経験した多くのことが役立っています。フリーランスだったこと、ソフトウェア開発をしていたこと、面接をしていたこと、クラスメソッドの各部の人との繋がりや、部署の状況をある程度把握していること、アジャイル開発で学んだこと、コミュニティに出入りしていたことなどです。それにプラスしてマーケティングや営業、国語力や質問力など、新たに学ぶことも沢山あります。
こうして思い返せば、目の前にある機会に対して”やってみるか”と乗っていった時の経験が、今の活動に繋がっていて、活かせてるなと感じますが、もちろん今のような形で役立つとは全く想像していませんでした。
最初にMacを買った時は音楽作るもんだと思ってましたし、フリーランスの時にはずっとフリーランスでエンジニアとしてやっていくつもりでした。PMだけはやりたくないとも思っていましたし、忙しいのにいそいろとコミュニティに出かけていく同僚の気持ちが分からなかったものです。
またこんな仕事をしているのにキャリアプランという単語にいまだ抵抗感があったりします。というのもあり、目の前の課題を解決するために、持っているスキルを使い、足りないところは学びながらやっていくことに集中していけば、きっといつか他でも役立って人生の肥やしになるんじゃないかと改めて思いました。
最後に
プロパゲートは、エンジニアの皆様へ事業会社やクラスメソッドの案件をご紹介する、マッチングサービスです。